がん間質

がん微小環境

 がんは英語ではCancerと呼ばれますが、この語源はギリシャ語で蟹(カニ)の意味です。蟹が足を伸ばしていくようにがんが広がって行くことと、がんが周囲に線維を作って固くなると同時に引きつったような構造をとるため、そのように見えたのでしょう。あれほど増殖力が強いがん細胞ですが、切除してほぐして培養してもほとんど増えません。実はがんはいろいろな正常細胞を手懐けて周囲に配置させ、免疫や制がん剤から自分を守らせたり、増殖をサポートさせたり、転移の手助けをさせているのです。このような構造を一括して「がん微小環境(TME)」と呼びます。がんは慢性的な炎症がある部位から発生することあるのですが、逆にこのがん微小環境は治らない慢性的な炎症とも考えられています。ところが近年、この悪者扱いされていたがん微小環境にはがんを正常化させようとしている機能もあることが分かって来ました。いずれにしてもさまざまな細胞から成るがん微小環境を上手に制御することががん治療に重要と考えられています。ここではがん微小環境をつくっているさまざまな細胞や分子を紹介します。

1.腫瘍関連マクロファージ(TAM)

 マクロファージは食細胞の1つで骨髄や末梢血に由来し、侵入した病原微生物や異常細胞を貪食して退治していますが、がん微小環境にいるマクロファージはその環境で性質が変わり(前者をM1型、後者をM2型と呼んでいます)、がんへの栄養血管を誘導したり、がんの浸潤を助けるための組織破壊酵素を分泌したりします。M1型とM2型は決定的なものでなく、サイトカイン(細胞間の情報伝達ホルモンのようなもの)などの刺激で移行しあうことが分かっており、M2型TAMをM1型TAMに戻す方法の研究が進められています。

2.がん関連線維芽細胞(CAF)

 TAMと並んでがんの中で目立つ細胞群ですが、線維芽細胞そのものはさまざまな組織の足場となるコラーゲン線維などの細胞外マトリックス(ECM)を作る重要な細胞で、特に傷口などを塞ぐ場面などで活躍しています。がん微小環境で増えている線維芽細胞は特にがん関連線維芽細胞(CAF)と呼ばれ、正常上皮細胞のがん化を助けたり、がん細胞が移動し遠隔転移できるように間質細胞の性質を持たせたりします。これに対して正常な線維芽細胞はこれを止めようとしています。CAFの由来は単一でないようで、がん細胞や血管内皮細胞が変化する場合や、骨髄に存在する免疫抑制機能をもつ間葉系幹細胞が血流に乗って定着し、がん微小環境で活性化する場合があるとされています。このCAFを減らす薬剤やCAFを正常線維芽細胞に戻す薬剤の研究がなされています。

3.骨髄由来免疫抑制細胞(MDSC)

 がん細胞が分泌するサイトカインが骨髄からがん微小環境に動員してくる細胞に骨髄由来免疫抑制細胞(MDSC)があります。白血球の主成分である好中球と単球・マクロファージがもつ細胞表面の目印をもっていますが、がん微小環境にいる骨髄由来免疫抑制細胞はその名の通り強力な免疫抑制能を持っており、既述の制御性T細胞と同様にがん免疫反応から腫瘍を守っています。がん免疫に重要な樹状細胞を抑えたり、M1マクロファージが働きにくくします。しかし本来の機能は、感染などに反応して過剰に活性化した免疫細胞を抑え、組織のダメージを防ぐことです。例によってがん細胞が自分の身をキラーT細胞などから守るために利用しているものです。

4. その他の免疫細胞

 既述の制御性T細胞や腫瘍関連マクロファージ、骨髄由来抑制細胞の他に、CD8陽性キラーT細胞、CD4陽性ヘルパーT細胞、NK細胞、B細胞、形質細胞、などさまざまな細胞が浸潤しています。多くはがん細胞を攻撃しようと集まっているものの、がん微小環境の免疫抑制的環境のため機能不全に陥っていると考えられています。

5. 腫瘍血管 

 腫瘍に栄養を送る血管は不完全で、硬いがんによる圧迫で容易に潰れてしまい、がん微小環境はおおむね酸欠状態になっています。これに対抗するがん細胞の変化によって、がんを攻撃する免疫細胞が疲弊したり、死んでしまったりします。ただ、血管内皮が不完全なため、細胞の隙間から大きな分子が漏れやすくなっており、これを利用してがん細胞に薬品を狙い撃ちで届けることが可能となることがあります。

6.免疫抑制性分子

 がん微小環境で免疫抑制が引き起こされる原因はさまざまですが、最近注目を浴びているPD-L1/PD-1やCD80/CTLA4などの免疫チェックポイント分子による負のシグナル伝達や、アルギナーゼおよびインドラミン 2,3-ジオキシゲナーゼなどががん細胞や上述の免疫抑制性細胞より分泌されキラーT細胞などが必要とするアミノ酸の分解、がん細胞とエネルギー代謝に必要なブドウ糖を競り合い負けてしまうことなどが大きな原因となっています。それぞれについて対策が練られていますが、免疫チェックポイント阻害剤が30%程度のがんで著効を示した患者さんではPD-L1陽性細胞(がん細胞と周囲の細胞)が多い傾向にあったことから、PD-L1/PD-1シグナルががんの逃避に重要であることが確認されました。残りの無効例では、がん微小環境が発達してキラーT細胞などの免疫細胞ががん部にすら入り込めない状況であったり、あるいはキラーT細胞が標的にできるがん抗原そのものが少なかったりすることが分かってきました。しかしそれだけで説明できないことも多く、まだまだ研究が必要です。